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 黒木花凛は超能力者である。
 それが出来ることに気づいたのはつい最近で、最初は何かの間違いかと思ったりもした。


「だって私が超能力者になったなんて、どうしたらいいんだろう。
 なんか、怪しい組織に捕らえられたり、モンスターと戦わなきゃいけなくなったりして」


 にそりと小さく小さく微笑んで、ささやいて、ハッとして口元を文庫本で覆った。
 もしこの小説の内容通りだったらどこに『敵』がいて、『誰』が聞いているかわからないのだ。
 かたたん、かたたん、と規則的に揺れるおんぼろ電車の中、花凛を除けばたった2人しか乗客がいない箱の中。
 左右に散った他の乗客の様子をじっくり窺ってから―――右の老人はぼーっとしていて、左の青年は眠りこけていた―――彼女は文庫本を口元から膝の上に落とした。
 なんてバカバカしいことをしてるんだろう、私。
 伏せた文庫本をひっくり返し、ページを数枚戻して、花凛はクライマックスへ自分を持ち上げはじめた。
 昨日買ったばかりの、お気に入りのシリーズの4冊目。
 新章に突入したが、早くも暗雲が漂い、この先生ならではの一筋縄ではいかない内容になっている。
 花凛はライトノベルが好きだ。もちろん本格推理小説や専門書も読むが、ライトノベルの所持数と読破数の方が圧倒的に多い。
 だから自分が超能力者になったことを知った時、言いようのない思いで胸がいっぱいになってしまった。
 まるでライトノベルのヒロインみたいな黒木花凛!


『次は東高台。次は東高台です』


 いつもの駅員の、いつものアナウンス。
 一番美味しいところでお預けになってしまったページに、出版社のサービスで挟まれていた販促の可愛いイラストが描かれた栞を挟んで、花凛は学生鞄に文庫本を大切そうにしまい込んだ。
 新刊案内と一緒に栞が挟みこまれている時があるが、それは素直に嬉しい。
 興味がない作品のものだったり、好みでない絵柄の場合は何ともいえない気分になるけれど。
 膝の上に学生鞄を置き、髪をゆるく纏めているシュシュのリボンを弄りながら到着するまでしばし。


 ぼきんと、世界の骨が噛み砕かれた音がした。


 そこは暗かった。
 真っ暗だった。
 何も見えなかった。
 いくら目をこらしても、時間をおいても。
 闇。闇。闇。


 黒。


 墨を流し込んだものよりさらに暗い闇が、沼の底に横たわるような粘っこい闇が広がっていた。
 電車の中は人工の光が明るく照らし、何一つ不自由なく歩けるというのに、その外は、見られるはずの風景は。
 青い空と田園地帯が広がる、田舎の風景を映し出していた窓ガラスはまるでごっそり抜け落ちたみたいに真っ黒だった。
 膝の上に学生鞄を乗せたことすら忘れて、思わず花凛は立ち上がった。


「……何よ、これ!?」


 立ち上がったまま、動くことすらできずに斜め右の窓ガラスも見た。


 黒。


 その隣も黒。
 その隣の隣も黒。
 隣の隣の隣も黒。


 黒。


 車両の右端から左端まで全て黒。
 振り返って、後ろの窓ガラスを見ても黒。
 これが夜だったら、ほんの少しでも町の明かりが見えるし、トンネルの中だったら自分や乗客の姿を鏡のように映し出してくれるというのに。
 その黒は何も映しはしなかった。
 まるで暗闇の世界に電車と花凛は取り残されてしまったみたいだった。
 わずかに正気に戻って顔を向ければ、他の乗客の姿はなく、2両編制であるはずの田舎列車も1両だけで、『そこ』から先がない。
 理解の範囲を超えた出来事に彼女の心臓は爆発寸前で、とにかく外に出ようと震える手で学生鞄を取り、強く胸に当てた。


 べちゃりと濡れた何かが背後を叩いた。


 大きな音にびくりと肩を震わせ、きつく学生鞄を抱きしめる。
 ホラーの常套句だ。
 振り返れば何かがいて、振り返ったら終わりだ。悲鳴をあげても終わりだ。
 そういうもの。
 理由なんてしらない。ただそういうものなのだ、彼らは。


 べちゃりと、今度は左隅の窓を、何かが叩いた。


 ほんの少しだけ、わずかにかすめる視界の隅にはおよそ考えた通りの異形の手が見えた。
 ひしゃげて割れた爪。ささくれた皮膚。歪んだ指。
 その全てから湧き出る黒い泥。
 わかりやすい異形。モンスター。
 誰がいわなくても、これが電車を真っ黒にした犯人なのだと、
花凛だけを狙って閉じ込めたのだと理解した。
 だから見てはいけないと彼女は本能的に察した。
 見たら終わりだ。


 べちゃりと右の隅を、


 べちゃと正面を、


 べちゃり、上から、


 べちゃっと足元に、


 何が楽しいのか、まな板の上に腐った肉を叩きつけるような音がべちゃりと足首を掴んで、ドライアイスを押し当てられたような神経を揺さぶる冷たさと、反比例的な粘液質の感触に心が決壊し、花凛は最も身近な人の名を呼んだ。


「パパ、ママぁっ!!!!」
「うっし、良く抵抗したな。それでいい!」


 ぢりっと足首を掴んでいた異形の手から火花が弾ける。
 最初は心許無いマッチ程度の火だったが、それは瞬く間に大火に変化を遂げ、化け物の手を燃やし尽くした。
 灰すらも残さず。
 夢か幻か、許容量をはるかに通り越した出来事の数々に花凛は思わずへたり込み、大きな瞳の淵にあふれんばかりの涙をたたえた。
 わけがわからない。面白いとか怖いと感じる以前に理解ができない。
 そのままぐずりだした彼女の頭を、奴らとは違う暖かい人肌が撫でた。
 こわごわ頭を傾けるとどこから入ってきたのか、そこには髪を金に染め、学ランを着た男が片膝を立てて寄り添ってくれていた。
 大柄なせいで少年というよりは青年に近いが、顔立ちがまだどことなく子どもっぽい。
 男は立ち上がると、べちゃべちゃと窓を叩き続けている手を見て、鼻で笑う。


「電車ひとつ分か。だったら俺にだって倒せる」


 ……倒せるらしい、この異形の手は。
 男が手を振りかぶると後を追うように火の粉が散り、そして男の体に現実では考えつかない変化を及ぼした。
 赤い髪、赤い目、いつの間にか握っている赤い刀
 剥き出しの凶器に花凛の目が丸くなる。
 まるでどころか、この様子はどう見ても。


「そのまま座ってるだけでいいからな」
「あなたも、そうなの?」


 学生鞄を抱きしめ、泣くことを忘れて花凛は男にたずねた。
 どこかにいってしまうまえに、せめて『それ』についての答えだけは。


「あなたも超能力者なの?」
「ああ、そうだぜ」


 花凛は男の答えに満足し、無言で胸の鼓動を受け止めた。
 男が刀を両手で握り、いくぶんか間違っている構え方をし、静かに息を吸う。
 早くあれらを燃やしたがっているのか、刀身の中で煌々とした炎が喘ぐように揺らめくが、奥に深く深く押さえ込んで、敵意と衝動をひたすら燃やし、充分過ぎるほど発火させて。
 轟と男は駆け出した。


「あんたは俺が守るっ!」


 刀と炎が化け物の手を全て焼き焦がし、闇の奥から親玉らしい仮面を被った化け物が出てきてそれを真っ二つにして、男が再び花凛の元に戻ってくるまで。
 花凛は状況と自分の立場を噛み砕き、反芻し、その複雑かつとろけるような味を飽きるまで味わった。
 仮面を被った化け物を倒すと、ガラスが外から叩き割られたように暗い世界が消滅する。
 すると今までいなかったの2人の乗客が戻ってきていて、ついでに1人増えた乗客を乗せて、電車が『たった今』駅に到着した。


「とりあえず、降りようぜ」


 いつの間にやら髪と目の色も元通り、何も持ってはいない男がのん気な仕草で花凛をうながした。
 どちらにせよ、いつもここで降りるのだけど。
 花凛はほんのり頬を赤らめて頷き、男と一緒におんぼろ駅に降り立った。
 他に降りる客はなし。
 さっきまでのホラーが嘘のよう、かたたん、かたたんとおんぼろ電車が線路の向こうへ去っていく。
 電車をぼんやりと見送っている花凛を心配したのだろう。
 男は軽く頭を掻いて、肩をすくめた。


「驚くのは無理もねえな。大丈夫?」
「……うん」
「説明とか色んなこと、今からするよ。
 とりあえず俺についてきてくれないかな……嫌ならまた今度でいいんだけど」
「わかったわ」


 花凛の即答に男の目が丸くなる。
 あまり年齢が変わらないか、1、2歳ぐらい下の幼い表情になって、花凛の目も丸くなる。
 見た目は立派な青年だが、いわれてみれば、どこか言動が子どもじみている。
 とすれば、高校生ではなく中学生なのかもしれない。
 彼はもう一度頭を掻き、なぜか調子が悪そうに明後日の方向を見ながら、高神早太と名乗った。
 たかがみ、はやた。
 刀と炎を使う超能力者。一昔前の、少し安易な能力。
 かといって今はあまりにも多種多様すぎて、トレンドなんてないも同然だけど。
 まるでライトノベルのヒロインみたいな黒木花凛。
 これからどんな敵が出て、どんな悲劇に巻き込まれるんだろう。


「とりあえずさ」


 それが口癖なのか、早太が神妙な顔で不意に呟いた。
 花凛は頷いて、ひとまず肯定を示しておく。


「主人公属性とかありがち火属性っていうの、やめてくれな?」